音楽の始まりは?2

リズムが内分泌的な興奮作用だとすると、和音や旋律はなんでしょう。

ドミソの和音はなぜ心地よく感じ、ドミ♭ソは少し悲しげ、
ドミソシ不安定な気持ちになるんでしょうか。私は、この原因も原始時代にさかのぼって考えます。

右のグラフは人間の遠吠えの倍音成分です。(図1)普通の声を出すよりも、きれいに倍音が出ています。遠吠えというのは、その生物の大きさや力強さを示すために、のどを開け複式呼吸で呼吸器全体を共鳴させて出すメッセージです。より大きく、強い呼吸器をもった個体ほどエネルギーの大きな、倍音の豊富な音を出すことができます。

豊かな倍音は、強い個体の証明です。このため、強い倍音の元にいることは、安心してそのテリトリーを占有できるという証になったのではないでしょうか。

ドを例とすれば、2倍音3倍音はドソ、その上はドミソ。この構成は長三度の和音です、ドミソ ミファ♯ラ シレ♯ソなどの和音を聞くと、強い遠吠えを思い出し安心するのです。

ドを基音とした場合、オクターブ上のドソは最も聞こえやすい音なので必須です。しかし、その上のオクターブのソは普通にはまず聞こえない音なので少しずれても、不協和音のようにいやな響きにはなりません。しかし、普通ならば長三度離れるはずなのに短三度しかはなれない音がでれば、その音を出している生物の呼吸器になにか普通ではないことが起きていると想像できます。このためドレ♯ミのCmは聞くものを悲しくさせるのではないでしょうか。

C7のように長三度の先の音は、普通に考えればまったく意識できないはずですが、和音としてしっかり聞かせると非常に不安定な感じがし、早く次のしっかりとした和音を聞きたい気持ちにさせるのでしょう。このため、C7などのコードはドミナントアクションと呼ばれ、次のコードに向かう協力な流れを生み出す役割になっています。


旋律は、このコード進行を分散ささているものです。悲しい旋律はマイナーコードを効果的に分散させたもの、力強い戦慄はメジャーコードを分散させたものと考えると、わかりやすくなります。

和音も旋律も、元を正せば原始人の遠吠え。だからこそ、和音や旋律は人種を超えて人を心地よくさせるのです。

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このコラムで断定的に述べている部分も、証明されたものではありません。
私の感覚を勢いで書いています。
図1私の遠吠えのスペクトラム
   幅広く倍音が広がっている